別荘でのこと。庭に出ると戻ってこない伯母を探しにいけば、一輪の雑草を丁寧に切っているところでした。
我が家の別荘は汗をかく方の別荘なので笑、 雑草などがたんまり生えています。その一輪を私に渡しながら、「これ、最近はおしゃれなお花屋さんで売っているわよ」と教えてくれました。
確かに可愛らしい花。
家に入り、そうそう生けました。
その直後にまた庭に出て見つけた雑草は、お花屋さんで売っているのを見たことがある花。最近ブーケになっている写真をみてかわいいなと思っていた、ふわふわと垂れ下がる大ぶりな一輪。
せっかくなのでこちらも生けてみました。
アレンジ力はないので、そこには目を瞑っていただくとして・・・。伯母がくれた右側の花、私が切った左側の花。虫食いさえも一つの景色をつくり、雑草2輪とは思えぬそれぞれの素敵さでした。
こちらは母が飾ったもの。
ふわふわしているのは、庭に広がっても「食べれるから」と言う理由で大切にされているアスパラガス。これから冬に向かって葉は枯れるので、ばっさり切った茎です。巻きついたつたも絡めたまま飾っていました。
逆光ですが、こちらはムラサキシキブ。
これは将来貰おうと思った春慶塗りの花瓶に生けました。雑草ではないけれど、「食べれないのにすぐ増えるのよね」と散々言われて、根こそぎ切られたものを笑、私が生けました。ぷっくりな実がかわいくて好きだから。
そしてちょっと前に飾っていたのは、
午後三時に花を咲かす、サンジバナ。こちらも雑草です。
でもかわいいでしょう?
私の母や伯母は植物好き。
祖母もそうでした。
これはあの花、こちらはその花。これはなんて言う木かしら。出かけ先で見かけた植物の前で立ち止まり、こんな会話を何度も繰り返します。
よく通る花屋さんのあの花が可愛かったねと言う会話を週に数度はしているし、花の名前をきけばたいていの答えは帰ってきます。
花屋の前であーだこーだというのは遠慮して欲しいけれど笑、その知識があるからこそ花屋の店頭に雑草だったものが混ざっていることに気がつくのでしょう。
そしてお花屋さんでお花を買うことはもちろんあるけれど、「お花屋さんで売っている」ことに伯母たちの価値はありません。美しいものは美しく、可愛らしいものは可愛らしいと思っているから。
雑草も、ニラの花も、花屋で売っているものも関係ないフラットな目線を持っていて、好きなものを飾っています。
「お花屋さんで売っている」そのひとことで目線が変わったゲンキンな私とは、対照的。
今回の伯母の言葉や「花屋に売っている」というフィルターが、花の可愛らしさを気がつくのには必要でした。つまり、私は花の形を愛でる目をもっていないということなんですよね。
伯母や母たちの姿を見ているとまだまだ道半ばですが「雑草もおしゃれなお花屋さんで売られるぐらいかわいい」ということを身をもって理解できたので、一歩前進ということにしておきます。
お花屋さんのお花も好きてだけれど、同じぐらい雑草も可愛らしい。最近はその垣根がない花もあるようです。
誰かのフィルターを借りながら。
自分の価値で。
花を一輪に視点を当ててみる。
その雑草、あのおしゃれな花屋で売ってるのと同じ花かもしれませんよ。