昨年の8月から、3つの台所を使いました。
ひとつは、ロサンゼルスの家。私の基本の台所で、どこに何があるかきちんとわかっている台所です。
2つ目は、昨年8月に一時帰国したときに隔離期間を過ごした別荘の台所。
祖父母が終の棲家にするために私が産まれた年に建てた家。結局祖父母は住まずに他界しましたが、祖母の、そして家族や親戚の影を感じる場所です。
3つめは東京の台所。私はここでは居候ですので笑 今まで料理をすることはほとんどなかったから、どこになにがあるかよくわかりません。とかいいつつ、器であそんだり、好き勝手やっているんですけどね笑。
3つの台所で半年を過ごして、人の台所ってその人その人らしいらしさがあって、あるものや使う料理器具の頻度が違うから、家の中でも個性が出る場所なんだと感じました。
もちろん、自分の家にあるあれがあったらこれがあったらとも思うけれど、それで終わらせてしまうのはもったいない。
人の家の台所で過ごせる時間は稀有なことで、それが家族や親戚の家だとしてもとても、やっぱり貴重なことだから。
その場を楽しんだほうが、なにか吸収することができて、絶対自分のためになる。
別荘の台所には、笑っちゃうほどざるとボウルがありました。小さいものから大きなものまで、ざるは竹ざるからステンレスのものまで、種類もまちまち。
祖母がそういう小物が好きだったのもあると思うけれど、時に2人、時に子供家族と大人数で過ごす時間があったり、私が小さい頃は敷地の一角に近所の方にお願いして畑を作ってもらっていたので、そういう収穫物もあったせいじゃないかと思います。
片手に乗る小さなザルはなければないでいいのだけれど、具材をよけておく、少しのミニトマトやベリー系を洗う時。ミントや木の芽など、庭にあるものを少しだけ詰みに行く時。
可愛らしさにくすりと心が踊るし、ちょうどよさは、やっぱり便利なのでした。
そして実はあまり好きじゃなかった、昔ながらの金色のお鍋。
祖母か長く使っていたもので、裏を直した後がある年季もの。取手もありません。
ですがこの鍋、驚きべき熱伝導率のよさでたっぷりのお湯がすぐわきます。一番最初に使ったときの驚きといったらありませんでした。
すごく軽いから、大きなお鍋でも使いやすく、お鍋を揺らしてかき混ぜることも容易。
おしゃれではないけれど、使い勝手は抜群でした。
そして東京の台所にあって、重宝しているのが親子鍋。
親子丼をつくるためのお鍋です。伯母にあのお鍋で作ったらいいのよと言われて使ってみて、開眼しました。
親子丼専用鍋なだけに、卵とじ系のものにとにかく便利で使い勝手がいい。
そして出来上がりも、腕の上達なしにうまくなる!
卵とじの料理、特に丼にするものは、卵の火の通り具合が味に影響します。好みの火の通り加減だと、同じ味でも150%ぐらい美味しく感じます。
私は生っぽいものよりも、火が通っているけれどとろっとさが残ったぐらいが好きなんですが、この加減ができる確率が今までよりも高いです。
そして何より、丼ものや卵とじが身近になりました。
お鍋ひとつですが、量の加減?なのか、よいしょという気持ちがなくなって。これあるから卵とじにして、ごはんに乗せてみようと思うことが多くなりました。
日々の料理に幅ができるのはもちろん、毎日ごはんを作る中で、楽ごはんや時短ごはんのアイディアへの道筋もできます。
缶詰とねぎや玉ねぎを卵とじするとかね。でもそれがとろっとした卵なら、間違いなく立派なおかずです。
親子丼や卵とじ系が上手に作りたくなったら、親子鍋。と思うほど。
たった鍋一つなんだけど、不思議です。
(ただ家族が多い方には、手間が増えるので親子鍋は不向きかもしれません。普通のお鍋で作ったほうが、効率的かな。)
私、以前LAの台所で親子鍋を、「使わない!スペースの無駄!」と捨てた覚えがあります笑。
そんな私ですが、今こうして楽天で親子鍋を調べているこの矛盾よ笑。
台所は家の中でも内な場所。なかなか誰かのものを見れたり使える機会はないからこそ、家族とはいえ貴重な経験をしています。
そして発見や気づきがあるたびに嬉しくなって、感謝がわいてきます。
どんなことでも、自分の外に出ること。知ることは大切ですね。
外に出た時は、ないないねだりではなく、できるだけ楽しむこと。私はできるだけ、こちらへ焦点を当てていけたらなと思います。
台所だけではなく、その他のことも、きっと同じなのでしょうね。